学芸ノートB版 2022-4「和田誠展を振り返って」

今夏、当館では「和田誠展」(会期:2022年7月2日(土)~8月28日(日))を開催しました。和田誠(1936-2019)の膨大かつ多岐にわたる仕事の全貌に迫る初めての展覧会として、昨年から全国を巡回しているものです。ここでは、本展の振り返りとして、展示室の様子と新潟会場独自の取り組みをご紹介したいと思います。
展示室は大きく3つの部屋に分かれていました。1室目には年表の柱が並び、それに沿うように幼少期から学生時代の資料、ポスターや雑誌のカット、絵本の原画などを展示。あえて順路も作らなかったこの部屋では、年表と作品を行ったり来たりしながら、和田の生涯を辿るようにじっくりとご覧になる方が多かったです。

さらに新潟会場では、この部屋の一角に西蒲原郡吉田町(現・燕市)出身の亀倉雄策(1915-1997)との交流を紹介するコーナーを設けました。亀倉と和田は日本のグラフィックデザイン草創期を共にした先輩後輩の関係で、第一線を走るデザイナー同士、仕事で関わることが度々あったようです。そこでここでは、当館が所蔵する和田が描いた亀倉の似顔絵2点を中心に、二人の交流を示す資料を展示しました。どちらの似顔絵も亀倉が自著の表紙に使用するなど、とても気に入っていた様子が伝わります。これに対して和田も、表紙に採用されたことを喜ぶ手紙を亀倉に宛てて送っており、これらの資料から両者の相思相愛の関係をご紹介することができました。

【左の額装】
《亀倉雄策の肖像》1972年頃
亀倉のエッセイ集『デザイン随想 離陸着陸』の挿絵に使われている。
【右の額装】
《追悼・亀倉雄策》1998年印刷(1988~90年頃の原画にもとづく再出力)
亀倉の代表作、1964年東京オリンピックポスターをパロディ。
和田から贈られた似顔絵の原画(上図内、左の額装)は、亀倉の自室にかけてあったという。さらにその約10年後、1983年に開かれた祝賀パーティの写真(左図)では、壇上で挨拶する亀倉の背後に、大きく拡大されたこのイラストレーションが見える。亀倉がこの似顔絵を長く気に入っていた様子が伝わる。
亀倉が企業のPR誌に連載していたエッセイに、毎号デザイナーやイラストレーターが描いた亀倉の似顔絵が掲載された。書籍化にあたり、その中から亀倉がとくに気に入っていたという和田の作品が表紙に採用された。亀倉の没後、追悼展「亀倉雄策1915-1997 昭和のグラフィックデザインをつくった男」(1998.5.11-6.5, クリエイションギャラリーG8)に出品するため、ポスターサイズで再出力された(上図内、右の額装)。

展示室を進み、2室目でまず目に入ってくるのが、壁一面を覆う『週刊文春』の表紙とポスターの数々。今回ご所蔵館や著作権者の許可を得て、会場内はすべて撮影OKだったのですが、SNSを見ていると、ここで撮った写真をアップされている方が特にたくさんいらっしゃいました。

そして和田の自著と家族の仕事を紹介した最後の部屋には、新潟県立美術館友の会の協力で、読書コーナーを用意しました。装丁をはじめ、和田の特徴的なタイポグラフィなどは眺めるだけでも十分面白いものですが、書籍はやはり手に取ってみてこそ。絵本の仕事も多いので、このコーナーでは親子で一緒にご覧になる姿をよく見かけました。さらに、こうした取り組みの延長で、県立図書館さんが出品作の中から所蔵する書籍のブックリストを作成してくださいました。県立図書館ほか、いくつかの図書館では特集展示も設置いただき、展覧会をきっかけに和田の本をより一層お楽しみいただく機会ができたのではないかと思います。

また、和田のキャリアでもうひとつ重要な位置を占めるのが映画。その集大成の一つが自らメガホンをとった映画でしょう。しかしながら展覧会の中では、どうしても全編をご紹介することができません。講堂のようなスペースが館内にあればいいのですが、それもないので諦めかけていたところ、シネ・ウインドさんが本展にあわせ「快盗ルビイ」上映会を開催してくださったのです。
絵本やグラフィックデザインといった分野は、これまでも当館で何度もご紹介してきました。そうした意味で親しみやすい展覧会だった一方、それだけにとどまらず、映画やジャズ、アニメーションとあらゆるジャンルにまたがる作品の数々に、当初の予想をこえて、幅広い世代の方にお越しいただくことができました。さらに今回、これほど多彩な作家の仕事を紹介するにあたり、展覧会を開催できたことはもちろん、美術館を飛び出し、地域の図書館や映画館と協働できたことが、巡回館の一担当としてはとてもうれしく有難いことでした。

(主任学芸員 松本奈穂子)