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学芸ノートB版 2022-5「2021年度新収蔵 野見山暁治《戻らない刻》~タイトルと絵の関係」

2003年に当館は開館しましたが、その前年度に収蔵した1点に《いけにえ》(図1)という作品があります。作者の野見山暁治さんによれば、「ぼくの絵にはみんながひっかかるのね。これは何を描いているんですかと。」いった質問を受けるそうです。一見抽象画のようでありながらも具体的なイメージが画面の随所に見えるため、こうした戸惑いにつながるというのです。そこで解釈の糸口を作品のタイトルに求めたくなるのですが、「いけにえ」とはおだやかではありません。その言葉を念頭に絵を見ると、なにやら不穏な世界が描かれているように見えてくるのではないでしょうか。

   図1 野見山暁治《いけにえ》1995年 182.0×227.0cm

昨年度末になりますが、新たに野見山さんの大作1点を収蔵することができました。《戻らない刻(とき)》(図2)という作品で、《いけにえ》の2年前に描かれたものです。こちらもやはり抽象的でありながら具象的なイメージを見出すことができます。そこでタイトルに目を向けるわけですが、じつに意味深長な言葉ですね。タイトルのもとに絵を見れば、そこに描かれた世界をめぐってあれこれ想像力を働かせることもできるでしょう。

   図2 野見山暁治《戻らない刻》1993年 195.7×195.8㎝

ところで、この作品を新潟に移動するため都内にある野見山さんのアトリエを訪れたのは、ちょうど桜が満開の時期でした。その10日前のことですが、わが家の愛猫が突如この世を去りました。だからでしょう。《戻らない刻》という作品を自らが受け取りに行くそのめぐり合わせに、なにか因縁めいたものを感じました。タイトルの言葉にひかれた私は、大きな画面の中にまさに自分の心の動揺を見るかのようでした。

その後、新型コロナの影響で作品を収蔵するまでの手続きが1年遅れてしまいましたが、その間、この作品を何度か目にする機会がありました。不思議なことに、あの桜の頃と同じような心持ちでこの絵を見ようとすることはありませんでした。時を経て変わったもの。それは、私自身であり、つまりは絵を見る側の心、意識の問題なのですね。

野見山さんは、タイトルと絵の関係についてよく質問を受けるそうです。絵が先か、タイトルが先か、どういう発想からタイトルは生まれるのかなど。それに対して、「ぼくの場合、タイトルは要らない。しかし符号でもいいから付けないと、これは困る。作品番号でもいいが、文字というのは厄介で、たとえ数字にしても何か意味を持つ。」というのです。さらに、タイトルを気にしながら地下鉄のホームで電車を待っていると、場内のアナウンスをヒントに〈白線の内側で〉〈ぼくの席がない〉〈ずっと立っていよう〉など、「ま、こういったメモが一日でわんさと出来て、そのお題目を絵と引き合わせて、付かず離れずの組み合わせにする。ね、いい加減なもんでしょう。」というのですから驚きです。

このようにタイトルと絵は別々に作り出され、そもそも関係のない存在だったのです。当館の《いけにえ》と《戻らない刻》についても事情は同じなのでしょう。そうとは知りながら、タイトルにはそれぞれ余韻があり、言葉として独立した存在感がありながら、同時に絵との関係性も感じさせて、見る側の想像の幅を広げてくれるものであるように思えるのです。ここで肝心なのは、「お題目を絵と引き合わせて、付かず離れずの組み合わせにする」ことです。タイトルと絵の創作とともに、両者の組み合わせもまた相乗効果をもたらす新たな創作としてとらえるべきでしょう。すべては野見山さんの創作なのですから、無関係とはいい切れないこともまた事実でしょう。

(専門学芸員 澤田佳三)

■引用および参考文献
・野見山暁治 『野見山暁治画文集 目に見えるもの』 求龍堂 2011年
・「編集長対談 野見山暁治「うつろうかたち」」『美術の窓』 2003年8月号