学芸ノートB版 2022-3「三沢厚彦 ANIMALS IN NAGAOKAを見てドイツ表現主義を想う」

内輪褒めは控えるべきなので、小さく呟きます。近美の「三沢厚彦 ANIMALS IN NAGAOKA」https://kinbi.pref.niigata.lg.jp/tenran/kikakuten/misawa_atsuhiko_2022/  が面白い、と。

三沢厚彦《Animal 2020-03》(部分) 2020年 樟、油彩
© Atsuhiko Misawa, Courtesy of Nishimura Gallery

企画展示室には、迫力ある大型作品が目白押しなのですが、所々にかわいらしい小ぶりの作品が隠れていたりして、展示の見どころは満載です。近美の広い展示空間の中で自分たちの新しい居場所を見つけて、どの作品も来館者との密かな対話を心待ちにしてくれているようでした。中でも存在感を見せているのが、最近作の「キメラ」。キメラ(キマイラ)とは、ギリシャ神話に登場する、尾が蛇(もしくは竜)で背中に山羊の頭が生えた(もしくは胴体の後半が山羊である)獅子の姿で火を噴く怪物のことです。ただし、三沢さんの作品からは恐ろしい気配は感じられません。本来相容れない動物たちのパーツが一緒になって構成されているキメラは、実は、文化や言語の異なる人間たち、更には動物や植物、海や山といった自然が共存している地球の比喩でもあるのではないか、そうした状況こそがまさしくキメラ的なのだと三沢さんは捉え直しています。ただ不幸なことに、現実の地球上では異なる者たちが対立して戦争が起こり、あるいは人間に牙をむく災害が起こっています。そうした世界の状況こそが、英雄に退治されるべき邪悪なキメラなのだと、いうわけです。そうした個性的な視点、独創的な世界観が、動物たちの姿をとおして作品化され表現されているのでした。
私は家族で伺いましたが、大人と子どもでは作品を見るための経験値が違いますし、背の高さ(視点の高さ)もバラバラです。家族とはいえ、感性も異なります。そのため作品から受け取るものも、気になるポイントも自ずと変わってきます。互いに補足し合うように話をしながら見ていくと、作品の見え方が幾重にもなっていきます。思いもかけない他人の視点を知ることは興味深いことなのですが、それに刺激されて自分の中でも化学反応が起こるのは楽しい経験でした。普段閉じている回路がいくつも繋がって、意外にも新たな見方が現れてくるのでした。
これから行かれる方にぜひとも忘れずに見ていただきたいのが、コレクション展示室です。企画展示室はもとより館内のあちこちにも作品が置かれていますが、コレクション展示室にも三沢さんの作品がさりげなく展示されています。いつも見慣れているはずの空間ですが、三沢さんのアニマルたちが参入することで、いつも真面目な顔で鑑賞者を見返している所蔵品たちも、少しばかり気持ちを緩めてリラックスしているような雰囲気が感じられました。異なる作品同士が肩肘突き合わせるのではなくて、得難い共演の機会を楽しんでいるようで、思わず微笑みながら作品の間を周遊しました。ちょっと注意してほしいのは、コレクション展が別料金であること。チケットを求める際にちょっと欲張って、ぜひ二つとも見てほしいと思いました。
三沢さんの展示をあれやこれやと見ていて、やはり動物たちの姿かたちに託して自らの表現を展開していた作家がいたことを思い出しました。フランツ・マルク[Franz Marc 1880-1916]、20世紀初めの重要な美術運動の一つ、ドイツ表現主義に属する作家のひとりです。
残念なことに、彼の作品は県美の収蔵品にはありません。新潟に限らず、国内他館でも、版画作品以外の収集例はほぼないのではないでしょうか。優れた作品が市場に現れてこないことにも理由があると思われますが、何より活動期間が短いがために、作品の絶対数が少ないのです。というのも、第一次世界大戦に従軍し、志半ばの36歳にして命を絶たれてしまったからなのです。それまでのマルクは、先輩画家カンディンスキーらとともに積極的に制作し活動していました。展覧会を組織するほか、『青騎手年鑑』を編纂し、同時代の新傾向の美術に加えて、西欧圏に非ざる美術(その中には日本美術もありました)にも目を向けて紹介していました。動物を主題に作品を制作していたマルクですが、その視線の先には、対象の再現を超えた、抽象的な表現の可能性も十二分に見えていたのでした。


書影は、没後に出た2冊組書籍『書簡、手記、警句集』(新潟県立近代美術館蔵)
マルクの代表作の一つに《動物たちの運命》という1913年の作品があります。スイスのバーゼルにある美術館に収蔵されている大型の油彩画で、それは翌年の第一世界大戦の勃発によって混乱し切り裂かれることになるヨーロッパの状況を予見しているかのような象徴的な作品でした。気づかれると思いますが、右側三分の一の状態が悪いのは戦火を被ったためです。盟友クレーが作品を救うために修復の手を入れたというエピソードも、本人ではなく友人がそうせざるを得なかったという事実の痛ましさに拍車をかけます。


三沢さんの作品を見ながらマルクのことを想い出したのは、単に動物をモティーフとしている共通点に導かれたからではないのです。時代の空気や予兆に自ずと反応して表現せざるを得ない類稀なる芸術家が存在しているということに思いが至った結果だったのでした。

(館長(業務課長) 桐原 浩)

■図版典拠:
マルク《動物たちの運命》
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Franz_Marc-The_fate_of_the_animals-1913.jpg
他の2点は稿者撮影