学芸ノートB版 2022-2「101年前の水島爾保布の仕事②―「黒白曼陀羅」」

今から101年前となる大正10年、2年連続帝展入選を目指す他にも、爾保布は熱心に幾つもの仕事をこなしており、前稿 https://banbi.pref.niigata.lg.jp/topics/noteb2022_1/  で紹介した「青いろの疾風」挿画以外に、もう一つ紹介に値する作品を見つけることができました。当時で既に四半世紀も続いていた伝統ある文芸誌『新小説』に掲載されたものです。第26年第4巻に掲載されていた「黒白曼陀羅」挿画がそれです(図1、2)
図1  

図2  

因みに記しておくと、『新小説』の刊行元は春陽堂で、つまりは大正8年8月18日に『人魚の嘆き 魔術師』の挿画本を公にしていた出版社でした。
「最も興味ある都会の新しき雰囲気を巧なる絵画を挿入して描く。実に都会風俗史なり。」これは、『東京日日新聞』大正10年4月4日付1面に掲載された『新小説』の広告[当時の新聞紙面1面は書籍雑誌の広告に充てられていました]の文面にあった「黒白曼陀羅」の紹介で、この惹句は端的かつ的確に内容を紹介しています。この「黒白曼陀羅」は爾保布自身が筆を執った小説で、更には自ら大小4点の挿画を添えていました。つまり、画文両方の媒体を駆使して「都会風俗史」の一コマを表現していたことになります。
実は稿者自身、この題名にいささか感じるところがあったとはいえ、掲載誌面の複写を実際に取寄せるまで、爾保布自身の挿画が含まれているとは想像もしていませんでした。なので、文中の挿画を発見した際には率直に驚きました。いかにも爾保布らしい作品ではありませんか。小粋でありつつもアクが強く、手の込んだ細部描写もあり、なかなかに魅力的なのです。
この小説はそれなりの頁数があり、筆が速いと言われていた爾保布にしても、時間をかけて意欲的に執筆していたように思えます。勿論、以前から画文ともに創作手段としていた爾保布にとっては、これが初の小説というわけではありません[若き日の同人誌『モザイク』には幾つもの創作の文章が掲載されていました]。また、創作童話になりますが、雑誌『赤い鳥』などにも数々の物語を発表していました。
小説としての出来については云々する立場にないので、挿画について申せば、まず自分自身の創作に絵を添えている点で、興味をそそられます。他人の創作からイメージを膨らませるのではなく、自己の中に湧き出るイメージを直截に、文と画の二刀流で表現しているのは、多作の爾保布にしてもあまり例がありません。そして、出来栄えからしても、爾保布の挿画の中でも高い水準を示す作に数えられるべきであり、見過ごされざる作品であると思われます。挿画の代表作『人魚の嘆き 魔術師』や佳作の「青いろの疾風」でも、爾保布は物語の世界を見事に具体化して見せてくれました。時も場所も異なる舞台で作画を行うのは難しさもある反面、描き手の自由度が高く、やり甲斐のある仕事ではあったでしょう。しかしながら、素材が他人の創作であるがゆえの遠慮や自制がなかったとは言い切れません。「黒白曼陀羅」では、画家や文士といった身近な同時代の風俗を材料にして、思う存分に自分の世界観を展開できていたはずです。
誌面には大小4点が掲載されていましたが、うち2点が頁全面に大きく扱われており、それぞれ見どころがあります。同時代の女性風俗を二人とも和装で描いているのですが、その人物表現は全く対照的です。
星空を背景にもの思わし気に振返る、洋髪に和装で動きの少ない立ち姿の麗人は、登場人物の一人、平野未亡人(図1)。「兎に角に奇體[奇態=優れた形姿の誤記か、もしくは奇禮の誤記か]な奥さんだよ。銀行の重役の令嬢で貴金属商にかたづいて亭主に死なれたといふ説もあるし、麵麭[パン]屋の出戻りだともいふし、美術音楽の保護者だともいふし、……」と語られます。瀟洒な身なりの表現からも物資に不自由のない環境にいることが見て取れ、それが故に生に飽いたような怠惰な雰囲気を帯びています。
もう一人は、平野未亡人の連れで、美人と形容される若い閨秀画家の岡田紅美子[くみこ](図2)。酒宴の果てに連れの男に絡まれて、「美貌を祝福します」と「膝の上へ、又肩へ、頭へ、いく度も幾度も酒を滴ら」されたお返しに、「手近にあつた麦酒瓶をとつて底に残つた麦酒をザツト撒散らした」様子が描かれています。舞か踊りでも披露するかのような手足の仕草が印象的ですが、更には、その肢体に絡みつくかのように、長くうねる曲線となったビールの液体が漆黒の空間に白く糸をひく表現も目を惹きます。乱れた裾からちらりと膝頭が覗く密やかな官能表現は、事細かに執拗にも丁寧に描き込まれた着物の文様によっても増幅されているように感じます。
掲載誌の前号である『新小説』第26年第3巻53頁には、次号四月春季特別号の内容予告欄があって、そこには「新亜剌比亜夜話(著者絵画入/長篇連載)」と掲載されていました。掲載時になって題名が「黒白曼陀羅」に替えられたのか(あるいはそれぞれ二つの別作だったのか)わかりませんが、題名の「黒白曼陀羅」とは、描出された物語の世界だけに与えられたものというよりは、黒白面の対照的な効果をデザイン的に活かしたり、緻密な線描による細部表現に凝ったりする爾保布の洒脱な挿画の世界をも象徴的に表している題名のように思えてなりません。
「黒白」という言葉遣いも、今なら「白黒」という言い回しのほうが自然かもしれませんが、映画が大衆の娯楽の中に市民権を得始めてきた時代背景を反映したものかもしれません。白黒映画を指す英語表現は「black and white」であり、その語順のままに適用することで、新興の芸術表現である映画芸術にも重なる、ややハイカラなニュアンスが込められていたとは言えないでしょうか。
いずれにせよ、黒と白の効果を生かした爾保布の挿画を見る度に、いつもながら残念に思うことがあります。『人魚の嘆き 魔術師』のように、質の良いアート紙に印刷されていたならば、と。雑誌や新聞の粗いザラ紙への印刷ではインクが均一に紙に乗らず、濃密な黒い闇となるはずのところがそうはなりません。そのため、白い部分もまた、まばゆい光の表現にはなり得ません。白と黒が綺麗な対照を示していれば、より一層の表現効果があったことは容易に想像して見て取れます。新聞や雑誌の爾保布の仕事を見るたびに、原画はもっと冴えていたはずだと、爾保布の脳裏に浮かんでいたイメージはより鮮明だったはずだと、思わずにはいられません。無いものねだりではあるのですが。

(館長(業務課長) 桐原 浩)

■図版典拠
図1:水島爾保布「黒白曼陀羅」挿画 、『新小説』第26年第4巻、春陽堂、大正10年4月刊行、81頁。[稿者所蔵資料]
図2:水島爾保布「黒白曼陀羅」挿画 、『新小説』第26年第4巻、春陽堂、大正10年4月刊行、101頁。[稿者所蔵資料]