• ホーム
  • トピックス一覧
  • B.island(新潟県立万代島美術館ニュース)第20号-5 「眼から鱗が落ちる―聖パウロの改宗」

B.island(新潟県立万代島美術館ニュース)第20号-5 「眼から鱗が落ちる―聖パウロの改宗」

「眼から鱗が落ちる」という言い回しがあります。美術作品を前にしても、新たな知識や情報を得ることで、見え方が劇的に変わることは、ままあることです。ものの見方が硬直化し始めたと感じたら、他の人の話を聞いたり、本を読んだりして、違う角度から考えてみますよね。

そういえば、このフレーズ、使い慣れているとは思いますが、由来をご存知でしょうか。恥ずかしながら、即答できなかった私はインターネットで調べてみました。便利な時代です。簡単に回答が見つかります。そうそう、新約聖書「使徒行伝」(新共同訳では「使徒言行録」ですが)の第9章、パウロの改宗にまつわるものでしたね。

パウロは、キリスト教の初期にあって、伝道に最も力を注いだ使徒です。イエスの十二人の弟子の一人ではありませんが、キリスト教圏では最もよく知られた馴染みのある聖人の一人です。英語・フランス語圏ではポール、ドイツ語ではパウル、イタリア語でパオロ、スペイン語になるとパブロとなります。つまり、よく知られた西欧近代の画家で言えば、セザンヌも、クレーも、ピカソも、母国・姓は異なりますが、名前は同じ聖人に由来しているというわけです。

ところで、彼は生まれた時からキリスト教徒だったわけではありません。それどころか、もとはサウロという名で、古代ローマ帝国の市民権を得ていたユダヤ人でした。当時、興ったばかりのキリスト教を信奉する人々は、古代ローマの神々を信仰せず皇帝の権限を認めないため、迫害の対象となっていました。そうしたキリスト教徒を捕縛することに極めて熱心に力を注いでいた一人が、実はサウロだったのです。

サウロの回心の話は次のようなものです。キリスト教徒を捕らえる許可を得るため、隊列を組んでダマスクスに向かうサウロは、突然の天からの光に照らされ、地に倒れます。「何故わたしを迫害するのか」と呼びかける声を耳にして、起き上がって眼を開けると、失明して何も見えません。手を引かれてダマスクスに入ると、サウロの許にはアナニアというキリストの弟子がやってきます。彼はサウロの視力を回復させるべく主が遣わしたのだと言って、サウロの瞼に手を置きます。すると、たちまち眼から鱗のようなものが落ち、元どおり眼が見えるようになったのでした。

このサウロの改宗の主題をめぐる絵画作品を西洋美術史の中に探すと、幾つかの名品に出会うことができます。「パウロの改宗」あるいは「サウロの回心」などと呼ばれますが、いずれにせよ、劇的な場面こそ画家の腕の見せ所としても最適だからでしょう、つまり天の声を聞いて失明する一瞬を取り上げることが殆どです。一方、盲いたサウロが治療を受けて「眼から鱗が落ちて」光を回復する、つまりキリスト教に帰依する場面は、内容からすれば非常に重要な意味を持つはずですが、作品は限られているようです。

実際の作品を見てみましょう。

まずはミケランジェロ[1475-1564]の作品を挙げてみます。ヴァティカン宮殿の中に教皇パウルス3世の命で建てられたパオリーナ礼拝堂を飾る大きなフレスコ壁画(図1)がそれです。《最後の審判》の完成翌年から手がけられた、60代後半の作になります。

 

 図1:ミケランジェロ《聖パウロの改宗》 1542-45年 フレスコ、625×661cm、ヴァティカン宮殿パオリーナ礼拝堂
図1-2:ヴァティカン宮殿内のパオリーナ礼拝堂。
向かって左に本作が見える。対面の《聖ペテロの殉教》もミケランジェロが描いた。

この礼拝堂の壁画の主題に、依頼者パウルス3世の守護聖人であるパウロに係るものが選ばれたことは、言うまでもありません。ミケランジェロの表現は、天上界と地上の世界を分け、多くの人物を組合せて、動きに富んだものになっています。画面下、つまりは壁画を見る人の視点に一番近いところの、中央よりやや左寄りに、神からの光により落馬し、助け起こされるサウロの姿が見えます。豊かな髭を蓄えたその顔貌は、鼻が潰れ頬骨の張った特徴から、ミケランジェロの自画像であると指摘されています。敬虔な画家は、改心するサウロ(=パウロ)に自己を重ねて表現していることになります。

 

 

 

 

図1-3:助け起こされるサウロ。 図1-4:《ミケランジェロの肖像》(ダニエレ・ダ・ヴォルテッラ作、1564-66年、ブロンズ、高さ35cm、ルーヴル美術館)

次に、イタリアからアルプスの向こう側へ、北方のネーデルラント(現在のベルギー北部からオランダにまたがる地域)に眼を移してみましょう。有名な画家一族の始祖ピーテル・ブリューゲル[c. 1525/30–1569]の作品が見つかります。晩年の傑作の一つでしょう(図2)。

図2:ピーテル・ブリューゲル(父)《サウロの回心》1567年 板に油彩、108×156cm、美術史美術館(ウィーン)

ブリューゲル(父)の現存する油彩画は40点ほど。美術史美術館は12点を所蔵しており、世界屈指のコレクションを誇っている。https://www.khm.at/objektdb/detail/328/?offset=8&lv=list

 

先のミケランジェロの作品が制作されてから、20年程しか経ていないにもかかわらず、表現は全く違います。地域や世代が異なるとはいえ、作品に現れてくる画家の個性がいかに違うものか、改めて驚いてしまいます。

一方で、主題の扱いが小さすぎることに納得がいかないと思われるかもしれません。ですが、これはブリューゲル特有の描き方です。寧ろ、この作品の見どころは聖書主題ではなく、鳥瞰的な視点から見下ろした風景と群衆の表現になるでしょう。武装集団の徒歩での山越えとなれば、彼らの苦労は並大抵のものではなかったはず。聖なる物語とは別の、様々な世俗的な挿話が容易に想像できて、作品を見る楽しみが増えます。この作品では、他のブリューゲル作品にも見られるように、彼の得意とする群像表現の中に物語の主題が紛れていて、画面の中をよく探さないと主人公が見つかりません。細かく描き込まれている多くの人物や細部表現を端からひとつひとつ丹念に見て探してみましょう。どうでしょうか。画面中央のやや右斜め上に、天の声に打たれて倒れるサウロが見つかります。無事見つけられた方は、まさに眼から鱗が落ちたような、得心がいった感じになりませんか。ちょっと大げさですかね。

図2-2:この部分図を縦横四分割した左上部をよく見ると、落馬するサウロの姿が。

 

最後にもう1点、もう一人のミケランジェロにも触れておきましょう。通称のほうが有名なカラヴァッジョ[1571-1610、本名はミケランジェロ・メリージ]の作品です(図3)。チェラージ枢機卿の依頼によるこの作品、先のミケランジェロの作と同様、「聖ペテロの殉教」と対になっていて、カラッチによる中央祭壇画を挟んで左右の側壁を飾っています。実は最初に描いたヴァージョンは受け取りを拒否され、改作されたのがこの作品です。主題の表現をめぐって、カラヴァッジョは極めて大胆なアプローチを採用しました。主人公たるサウロその人に視線が集中するよう、周囲の状況も取り巻く人物たちをも消し去り、暗い背景の中に馬と馬丁とサウロの姿だけが浮かび上がるように表現したのです。神の存在も天使の姿も、そこにはありません。

図3:カラヴァッジョ《聖パウロの改宗》 1600-01年 カンヴァスに油彩、230×175cm、
サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂チェラージ礼拝堂(ローマ)

図3-2:チェラージ礼拝堂。正面祭壇画はカラッチの《聖母被昇天》。両側壁がカラヴァッジョの作で、向かって右が《聖パウロの改宗》、左は《聖ペテロの殉教》。同時代の二人の画家が競作。

カラヴァッジョは、回心という宗教的に重要な物語を、超自然的な出来事として演出するのではなく、どんな人物にも起こり得る精神的な転向と解釈しました。同時代を生きる人たちの日常と地続きの中でも起こり得るものとして、捉えているのです。一人の兵士として描かれたサウロの外面の姿に聖人を示す光背も光輪もなく、ごく普通のありきたりの壮年の男性として描かれています。サウロの心のうちに起こった崇高なドラマに対して、外面のリアリズム描写を徹底することで接近しようと、カラヴァッジョは試みているのです。また、視線が主人公に集中するように明暗を強調した光と影の織りなす表現も、見るものの心をしっかりと掴みます。こうした明暗表現はカラヴァッジョの特徴的な様式で、当時のローマに留学してきていたアルプス以北の画家たちを魅了し、北方に伝えられることにもなりました。

さて、最初に述べた「眼から鱗が落ちる」というキリスト教に由来するこの成句、日本ではいつ頃ごろから普及したのでしょうか。興味深い話題ですが、私の手には負えません。美術の話からも外れていきますので、今回はひとまずここまで。

(館長・業務課長 桐原 浩)

■図版典拠:The Web Gallery of Art (https://www.wga.hu/)