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B.island(新潟県立万代島美術館ニュース)第20号-11 「展覧会に落ちる―水島爾保布の人魚たち(3) 補遺」

先の第20号-10の拙稿で最後に予告しましたように、水島爾保布の帝展初入選について記すべく、改めて資料を集めて整理しているところですが、コロナ禍の現状では東京まで調査に出かけることはできません。情報収集手段が限られる中、県立図書館で閲覧可能な当時の主要三紙(朝日、讀賣、毎日=当時は東京日日新聞)のデータベースに大きく助けられています。そして、調査を進めるうちに、今更ながら恥ずかしいことに気付きました。「人魚」が落選した第3回展については、結果の確認だけで、作品搬入時の報道までは当たっていなかったと。
当時の官展は社会的にも注目の的であり、新聞各紙は格好の話題としてその動向を細かく伝えています。審査結果の報道はその頂点ではありますが、経過途中の作品搬入時から、眼を惹く作品について報じています。しかし、第2回展の経過中に記事で挙げられた作品を入選結果と対照してみますと、重なるものばかりではないことに気づかされました。ならば、第3回展で落選した爾保布の作品は、結果報道にこそ現れてはきませんが、途中の記事を確認すれば、ひょっとしたら何か有益な情報も出てくるかもしれません。そんな淡い期待を持ってデータベースの画面を探り始めたところ、遅まきながら新情報が発見できました。作品名が記載されていたのです。ほんの小さな事実ではありますが、重要なことを示唆していると思われますので、早速に報告いたします。
それは『東京日日新聞』大正10年10月5日付9面にありました。「搬入ぽつりぽつり/帝展締切前日の総数/例年の約三分の一弱」との見出しで、作品搬入の様子が報じられています。最初から引用してみましょう。

帝展は五日午後十二時で全く搬入を締切る、四日は前日に続いて又も降雨で搬入少数瀬尾南海の妹の清汀女  史の「朝靄」福永公美の「源氏十二段」橋本邦助の「夕陽」水島爾保布の「公子と人魚」松本姿水の「梨の花ちる夕」三尾呉石の「猿」が見え(後略)

そうです、第3回展で「一も二もなく蹴飛ばされて了つた」作品は《公子と人魚》だったのです。ですが、たったのそれだけと言うことなかれ。空白状態に点じられた小さな情報をきっかけにうっすらと浮かび上がってくる当時の様子には、見過ごせない要素があります。まず、この記事からは作品の題名が判りますし、十分に締め切りに間に合うべく作品を完成させて、締め切り一日前の10月4日に搬入したこと(業者搬入か自前持込みだったのか判りかねますが)、そして、その日が雨だったこと(些事ですが、臨場感が伝わります)すら、窺い知ることができるのです。その日の搬入点数が少なかったからこそ目立ったのかもしれないと、やや割り引いて考えたとしても、作者名と作品名を挙げて紙面で報じている以上、「東日」記者の眼には、爾保布の作品も注目作の一つと映っていたわけです(「東日」との関係性は別稿で触れたいと思います)
とにかく、この記事の中で何よりも注目すべきは作品の題名です。そこから推すに、ただ人魚のみを描いているのではなく「公子」も一緒に描いているであろうことが、十分に垣間見えます。「公子」とは貴族の子のことでありますし、つまり何が言いたいのかというと、うら若い貴公子・孟世燾(もうせいちゅう)を主人公とした谷崎潤一郎の短編小説「人魚の嘆き」に、爾保布が白黒の挿画を添えた挿画本が大正8(1919)年に出版されたこと、その出版から二年後の大正10(1921)年の第2回帝展に爾保布は「人魚」を描いて出品し落選したことを、これまで記してきましたが、その「人魚」とは、挿画を描いて競作していた谷崎の短編を題材に、新たに制作した作品である可能性が窺われるということです。恐らく、日本画として(まさか洋画出品ではないでしょうし)、そして、色彩を用いて(白描、すなわち線描だったかもしれませんが)、制作していたのでしょう。そのようなことが『東日』の短い記事から推測できるわけです。となると、先回の拙稿で引用した爾保布の文章中にあった「僕の表はし得たつもりでゐた一流のオリエンタリズム」とは、東方趣味ではなく、中国趣味であったはずと憶測を拡げることもできそうです。
因みに、先の記者が注視していた帝展第3回展の作者作品について、爾保布以外の審査結果はどうだったのでしょうか。記者の眼力も窺えますし、照合しようと思った瞬間、天を仰ぎました。第1回から第4回までの帝展を詳述した『日展史6』を近美の書庫から借りて来ていたのに、丁度返してしまったばかりだったのです。確認作業は暫し先延ばしとなりました。

(館長・業務課長 桐原 浩)