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B.island(新潟県立万代島美術館ニュース)第20号-12 「田畑あきら子 何故に白なのだろうか」

9月から長岡の近代美術館で開催されるコレクション展「田畑あきら子 火だるまのなかの白い道」(9月17日~12月12日)の準備を進めています。昨年開催予定の展覧会でしたが、新型コロナ禍で調査が予定通り行えなくなり、1年延期となっていました。調査が思うように進められない状況は昨年から残念ながら変わりませんが、近代美術館に揃う田畑の作品の数々を、久しぶりに一堂にご覧いただく機会になるかと思います。

 

田畑あきら子(たはたあきらこ/1940-1969)は、巻町(現・新潟市西蒲区)に生まれた画家、詩人です。武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)を卒業、数度のグループ展と1度きりの個展を開き、生前はほとんど無名の画家としてその短い生涯を終えました。亡くなって数年後、洲之内徹が『芸術新潮』の人気連載「気まぐれ美術館」で紹介したことをきっかけに、広く知られることになります。洲之内が亡くなる直前まで準備していたのも、田畑の展覧会でした。これは結局幻の展覧会となってしまいましたが……。

 

さて、近代美術館には、夭折した田畑の没後間もなく、まだ美術館が前身の新潟県美術博物館だった時代に、素描を中心とした作品群が一括収集されました(図1、2)。これらは、1971 年に開催された新潟県内で最初の個展(残念ながら遺作展という形にはなりました)の出品作が中心です。田畑が残した作品は少なく、これらの素描類と10点に満たないとも言われる油彩画が知られるのみです。近代美術館には、このとき収集された素描作品のほか1点の油彩画を所蔵し、これによって彼女の創作活動の全体像を知ることができるようになっています。

   
(図1)《作品No.8》1964年  

 (図2)《ノートより》制作年不明

田畑の油彩画は、1968 年に開かれた生前唯一の個展に前後して集中的に描かれました。現在、それらは当館にある1点のほか、4点が国立国際美術館にも収蔵されています。いずれも素描にも見られるような繊細な線や浮遊する形、文字や記号が描かれた画面に、白い絵具が塗り重ねられています。

それ以前に田畑が描いた油彩画として、在学中に描かれた自画像(図3)と卒業制作《コンポジション》(図4)が知られています(いずれも今回の出品はなし)。これらは初期の作風を伝える貴重な作品ですが、深い緑や暗褐色の色調であること、田畑芸術の真髄とも言うべき線ではなく色面で構成されていることで、印象が全く異なることに驚かされます。ご遺族の回想によれば、1967年に田畑は母親を亡くしており、その頃から絵は白を中心としたものに、それまでとは「がらっと変わった」のだと言います(松沢寿重「田畑あきら子研究―受容史を中心に」『新潟市美術館・新潟市新津美術館研究紀要第6号』2019年)。

   
(図3)《自画像》1959-63年  

 (図4)《コンポジション》1963年

さて、田畑は個展に際して、次のような文章を書いています。

 私の尊敬するある詩人は、それら宇宙の壁の白とおっしゃいましたけど、それは大変難かしい。あらゆる色を含んだ白よりも、もしくは、いろんな形を、1/3乃至は半分を隠してしまう白の、白はそんな風に、雲みたいに、私は描いていくうちに、溶けていく、その時に、アッとか、声をあげる。 (「ノートから」『サトウ画廊月報』1968年)

この文章から、一口に白と言っても、少なくとも田畑には3つの「白」――宇宙の壁の白、あらゆる色を含んだ白、いろんな形を1/3乃至は半分を隠してしまう白――があったことがわかります。さらに、この最後の「隠してしまう白」は、「雲みたいに」「溶けていく」ものでもあるようです。

近代美術館の油彩画(図5)は、これらの中では比較的早い時期に描かれたものです。上塗りされた白い絵具は、粗い筆致が残され、その筆触が黒い描線と混じりあいます。画面中央に大きく横たわる青い色相は、海を泳ぐイルカのようにも、流れる雲の切れ間にのぞく空のようにも見え、画面に浮遊感を漂わせています。

 

   
(図5)《作品》1966-67年  

田畑の絵画は、目指すべきゴールに向かって、一つの画面を創りあげていくというものではないように思われます。彼女のなかに次々に浮かんでくるのであろうイメージを、何とかして画布に留めようとする試みであり、そのために文字や矢印といった記号が用いられることになるのでしょう。浮遊感漂う画面は、イメージが定まるのを避けているようです。彼女の中のイメージは、常に揺らいでおり、浮かんでは消えていくものなのかもしれません。塗り重ねられる白い絵具は、それゆえ「隠してしまう白」を連想させます。

田畑は友人に宛てた手紙の中で、「何故に白なのだろうか」と問うています。そして、その少し前に書かれた手紙には「もうちょっと白をぬって寝るわ」とも。

揺らぐイメージは、彼女の心象を反映したものでもあったのでしょうか。母の死という大きな悲しみを経験した作家が、迷いながらも制作の手を止めずにたどり着いた早すぎる集大成が、これらの油彩画と言えそうです。今度の展覧会では当館所蔵の油彩画1点を展示しています。田畑の作品に見られる一つ一つの筆のはこびは、印刷や画面上では伝わりきらない繊細さがあります。ぜひ、作品のある長岡に足をお運びください。 (主任学芸員 松本奈穂子)

 

※田畑の手紙は、「1969年の書簡より」という形で当該年のものが遺稿集にまとめられている。『白い雲の中へ――田畑あきら子詩画集』(新潟日報事業社1997年)より原文を引用した。図3、4も同書より転載。
※図1、2、5は新潟県立近代美術館・万代島美術館蔵。

 

新潟県立近代美術館(長岡)
コレクション展第3期「田畑あきら子 火だるまのなかの白い道」
9月17日(金)~12月12日(日)
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