• ホーム
  • トピックス一覧
  • 【学芸ノートB版】2025-2 junaida作品《WHO MADE WHO》の彼方に② ~junaida exhibition IMAGINARIUM に寄せて

【学芸ノートB版】2025-2 junaida作品《WHO MADE WHO》の彼方に② ~junaida exhibition IMAGINARIUM に寄せて

 junaida 《WHO MADE WHO》2022

さて、junaidaさんの《WHO MADE WHO》の中には、マスターピースだけではなく、たいへん興味深い作品がいくつか含まれています。まずはIndiana Jones and the Temple of Doom、日本名「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」(1984)です。インディアナ・ジョーンズシリーズの第2作目であり、私も封切で見ましたが、前作以上の目まぐるしいアクションを盛り込んだ冒険譚であり、こんなに面白い映画があるのかと思いました。続編は八掛け程度と言われていた時代に、前作を超える大ヒットで興行的にも大成功でしたが*1、映画評論家受けが極めて悪く、特に日本の評論家の間では「女性を物のように描いている」とか「お子様ランチ」だとか、「映画のリズムではない」とか、まあ良く言われていません。でも、アメリカではシカゴ・サンタイムスの映画評担当ロジャー・イーバート氏とザ・ニューヨーカー誌の映画評担当ポーリン・ケール氏、日本では雑誌『スクリーン』で「僕の採点表」を連載していた双葉十三郎氏が本作を高く評価していて、とても嬉しかった記憶があります。「インディアナ・ジョーンズ」はジョージ・ルーカスとスティーヴン・スピルバーグが冒険活劇の面白さを再現しようとはじめたシリーズです。中でも本作は現在の視点から眺めてみても、スピード感もアクションも突出しています。そのため、ストーリーがあってアクションが演出されているのではなく、まず人を驚かせるようなアクションを設定、そこからストーリーを組み立てているような、そんな印象さえ与える作品でした。

そして、The Untouchable Brian DePalma、日本名「アンタッチャブル」(1987)です。禁酒法時代のギャングのボス、アル・カポネと財務省捜査官エリオット・ネスの壮絶な戦いを描いた、今では名作の誉れ高い作品ですが、作品制作時は全く期待されていない作品でした。予算も多くはなく、大スターはキャスティングできませんでした*2。また、監督のブライアン・デ・パルマはテクニックに長け、一部にカルト的な人気を得ていましたが、毀誉褒貶が激しい映画作家で、それまで一般向け娯楽作品には向いていないと思われていました。そのため、それぞれのシーンは実に迫力のある映像になっているものの、動き過ぎるカメラと独特な編集により、映画全体のバランスを欠いてしまっているのです。ですが、デ・パルマ監督を責めることも、また、できない事情もありました。

例えば、映画のクライマックス・シーンは列車内での大規模な銃撃戦になる予定でしたが、予算オーバーで不可能になりました。仕方なくデ・パルマ監督はとっさの思いつきとテクニック、そして今あるセットだけでクライマックス・シーンを撮影したのです。一事が万事この調子で、不測の事態が生じると、デ・パルマ監督は映像技術でカバーするしかなかったのです。しかし、この映画の音楽担当は生涯で500本以上の長編映画を手掛けた偉大なマエストロ、エンニオ・モリコーネ*3でした。試写を見たモリコーネは、このデ・パルマの映像の魅力を最大限に引き出す、これ以上ない音楽を用意したのです。結果として、映画は大ヒットとなり、大学時代に私が見に行った渋谷東宝でも長蛇の列ができていました。皮肉にも、クライマックス・シーンはモリコーネの音楽とともに、映画史に残る屈指のアクションシーンとして今なお語り継がれています。

この2作品に共通して言えるのは、前作以上のヒットの要求や予算不足という制約から生じた結果だったにせよ、それまでの映画の文脈とは異なる、新たな映像言語によって構築された映画だったということです。それまでも、実験的なアプローチは、仏映画におけるヌーヴェル・バーグの時代から、特にアートシアター系の作品ではよく見られました。しかし、娯楽作品において、従来の物語の骨格を持ちつつも、同時に前衛的な試みを多用した作品は少なく*4、映画の新たな可能性が、これらの作品で示されたと考えることができます。結果として、今までの映画にはない映像体験をもたらすことになったわけで、映画評論家の評価がわかれてしまうのも当然なのかもしれません。しかし、重要な点はこの2作とも大ヒットした、つまり、多岐にわたる観客層には受け入れられたということであり、映画の新しい時代に入ったということでもあります。以降、観客が映画を見に行く要素として、ストーリーや出演俳優だけではなく、監督の作家性もその一つとなっていきます。

junaidaさんの作品も従来の絵本の文脈を超えて、一つの絵のイメージが、次の着想に繋がり、全く違うイメージに変貌しつつも、相対的に統一された映像言語というべき世界観を確立させているように見えます。それは、キューブリック監督の「言葉によらない視覚的体験で、それ以外の補足は必要ない」という発言のように、展覧会の「IMAGINARIUM」というタイトルが示す通り、論理や常識、言語といったものを超えた世界に、限りない表現の可能性を感じているからかもしれません。junaidaさんの作品を眺めてみると、本来の絵を見る姿勢、つまり、知識や経験で理解しようとするのではなく、表現されているそのものの姿にこそ魅力があることを教えてくれような気がします。そのことと、映画でしか成しえない世界を追求しつつも、多くの観客にも支持された、この2本の作品が《WHO MADE WHO》に含まれているのは、そこにjunaidaさんも共感しているからでは、と深読みしてしまいます。事実、本展の来館者層もまた幅広く、解説や説明がなくても皆さんそれぞれが楽しんでおられるのですから。

さて、今までの話が正しいかどうかは別の話。重要なのはここからです。この《WHO MADE WHO》という作品が、ほんの少しですが、junaidaさんの作品の秘密を垣間見た気持ちにさせてくれることは紛れもない事実です。でも、《WHO MADE WHO》はjunaidaさんが巡回会場ごとに組み立てていますので、今回お話したレイアウトはこの新潟会場でしか見ることができないということなのです。もし、今までのお話で少しでも興味がありましたら、この機会に本展を訪ねてみてください。新たな発見があるかもしれませんよ。

 

(新潟県立万代島美術館・専門学芸員 藤田裕彦)

 

*1前作「レイダース/失われた聖櫃」(1981)は全米では大ヒットしたが、日本では正月映画として公開されたもの、同時期公開の「キャノンボール」に興業的に及ばなかった。しかし、第2作にあたる本作は大ヒットとなり、もともと1984年夏公開だったが、同年の秋に、前作との同時上映で有楽町マリオンの日劇プラザをはじめ都内の封切館でリバイバル上映され、それも大ヒットした。

*2 主役のエリオット・ネスを演じているのはケビン・コスナーであり、それまでは「ファンダンゴ」、「シルバラード」(主役4人の内の一人)などに出演。グレン・クローズ、トム・べレンジャー、ジェフ・ゴールドプラム等が出演した「再会のとき」では、死体役の上、本編ではカットされた。また、他のアンタッチャブルのメンバーのチャールズ・マーティン・スミスは「アメリカン・グラフティ」の登場人物の1人。ジョージ・ストーンを演じるアンディ・ガルシアは新人。本作のプロデューサーによると、ジミー・マローン役のショーン・コネリーだけが、映画会社であるパラマウントが押さえたかった俳優だったと語っている。

*3 イタリア出身の映画音楽家。「荒野の用心棒」、「夕陽のガンマン」、「ウエスタン」、「ワンス・アポン・ア・タイム・アメリカ」等、セルジオ・レオーネ監督作品や、「荒野の一ドル銀貨」、「血斗のジャンゴ」、「ガンマン大連合」などマカロニ・ウエスタンを多数担当。その他、「死刑台のメロディ」、「シシリアン」、「エスピオナージ」等の犯罪映画の他、ダリオ・アルジェント監督の「私は目撃者」、「四匹の蠅」やベルナルド・ベルトリッジ監督の「1900年」等、イタリア映画界の有名監督の信頼も厚く、他分野を手掛けている。1980年代半ば頃からアメリカ映画も担当するようになり「遊星からの物体X」、「ミッション」、「バクジー」、「ザ・シークレット・サービス」が代表作。日本では、おそらく「ニュー・シネマ・パラダイス」が最も有名であろう。なお、「アンタッチャブル」でアカデミー賞、グラミー賞にノミネートされ、グラミー賞を受賞している。既成曲が中心で、いわゆるオリジナルの劇伴音楽を使用しないことで知られるクエンティン・タランティーノ監督もファンの一人であり、「イングロリアス・バスターズ」ではモリコーネの既成曲を使用、「ヘイトフル・エイト」では、オリジナル音楽をモリコーネに依頼した。モリコーネは本作で初めてアカデミー作曲賞を受賞している。

*4   現在、ハリウッド映画において監督の立場は確固たるものがあるが、1960年代末頃までは圧倒的にプロデューサーの立場が強く、アヴァンギャルドな演出はおろか、編集の権限すら許されなかった。それが出来たのはオーソン・ウエルズ、アルフレッド・ヒッチコックなどごく限られた監督だけである。

junaida展チラシ  《WHO MADE WHO》一部