【学芸ノートB版】2025-8 堀口大學直筆原稿《コクトオ口伝》
前回の学芸ノートB版では、近代美術館のコレクション展「幻想世界―シュルレアリスムと美術」に、井上愛也の《現実ノ具体》を出品した経緯を書きました。今回はこの作品を巡るもう一つのエピソード—ある芸術家と井上愛也との遭遇にまつわる―を紹介したいと思います。
私の耳は貝のから 海の響をなつかしむ
このどこか懐かしい匂いのする詩を通して、フランスの詩人ジャン・コクトー(1889-1963)のことをご存じの方も多いのではないでしょうか。翻訳をした堀口大學(1892-1981)は、東京に生まれ、2歳から17歳までを長岡で過ごした新潟ゆかりの詩人です。日本で最初にコクトーの詩を紹介したのも大學だといわれています。コクトーと大學と新潟の間には、何か不思議な縁のようなものが感じられます。両者の文学上の関係は大正時代に始まりましたが、実際に二人の詩人が出会ったのは、コクトーが生涯に一度だけ日本を訪れた時のことでした。
1936年5月、コクトーは世界一周旅行の途上で日本に立ち寄りました。短い滞在の間に様々な文化的交流やラジオ出演など過密なスケジュールをこなし、日本の人々の心の中に深い印象を残しました。東京での5日間は堀口大學や藤田嗣治が通訳を務め、その意を尽くした案内が、コクトーと日本との出会いを単なる観光にとどまらない社会分析や芸術的体験を含む意義深いものにしたといえます。歌舞伎や相撲見物など華やかなエピソードが多いなかで、あまり注目されてこなかった出来事に、二つの絵画展を訪れたことがあげられます。
一つは上野の美術館で開催されていた「日本南画院展」、もう一つは銀座の紀伊國屋画廊で開かれていた「表現展」です。前者は伝統的な日本美術の団体展であり、後者は日本の最先端を行く無名の画学生たちによるシュルレアリスムのグループ展でした。この無名のグループ展こそ、井上愛也が《現実ノ具体》を出品した第2回表現展でした。
その朝、帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)の画学生によるグループ「表現」の同人6名が、コクトーの滞在している帝国ホテルを訪ねて、自分たちの展覧会を見に来て批評してほしいと申し入れました。多忙な日程で疲れていたにもかかわらず、コクトーは若者たちの願いを聞き入れ、夕刻画廊を訪れました。しかもそれは通り一遍の見方ではありませんでした。会場へ入ると、「僕は専門の批評家ではないから、見てすぐいきなり批評は出来ない。まず一とおり拝見しましょう」と言いながら、藤田嗣治の説明で見て回ったそうです。そして各画家に近作を訊ねて、その1点に集中しながら会場を回り、それが終わると、今度はもう一度それぞれの絵の前に立って、丁寧な批評をしていきました。6人全員のために批評がなされたのです。
コクトーに同行していた堀口大學は、当時その見聞をいくつかの文章に残しています。近代美術館の所蔵品の中には、雑誌『改造』7月号に掲載された「コクトオ口伝」という文章の直筆原稿があります。そのうち「「表現」展」と題された章は、まさにグループ展訪問の様子を記したものです。「藤田画伯をはじめ一同コクトオの親切な努力には舌を巻いて驚いた」といった一行があり、ひしひしと臨場感が感じられます。この「一同」の中に、行動主義文学の提唱で知られるフランス文学者小松清もいました。小松は帝国美術学校の講師を務めていたので、コクトーが表現のグループ展を訪れた背景には、実は小松の推薦があったといわれています。一見劇的な出会いの場面でしたが、その陰に関係者の思惑があり、起こるべくして起こったことだったのかも知れません。ただ、コクトーが画学生たちに対してとった行動は、誰もが驚くような、筋書きを超えたものだったことはたしかです。
井上愛也(1916-1947)について、今日分かっていることはそれほど多くはありません。新潟市寄居町(現・新潟市中央区寄居町)で三男四女の長男として生まれ、中学卒業後、上京して早稲田大学に入学しています。その後まもなく帝国美術学校に転校したといいますが、ご遺族の話では、この進路変更が発覚した時、父親と大喧嘩になったそうです。美術学校卒業後は、1939年に満州電業に就職して、新京(現・長春市)に赴任します。病を得て新潟に帰省し、療養して再び赴任し、また病んで郷里に戻りました。戦後まもなく31歳の若さで他界しています。
あの日、井上愛也はコクトーからどのような言葉をかけられ、何を感じたのでしょうか。「彼の言葉をきいて、初めて僕なんかには画家の意図の在り所の知られる作品も一つや二つではなかった」という大學の文章から、心に響く見事な批評だったことが窺えますが、残念ながら井上自身の言葉は見つかっていないため、今のところ直接それを知る手がかりはありません。ただ、残された一枚の絵画が、芸術の最先端を目指して闘っていた一人の画学生とフランスの詩人の触れ合いを伝え、その一瞬の輝きを想起させるのみとなっています。
(専門学芸員 平石昌子)

挿図:新潟県立近代美術館 令和4年度コレクション展「幻想世界—シュルレアリスムと美術」展示風景(左から堀口大學直筆原稿《コクトオ口伝》、井上愛也《現実ノ具体》、吉原治良《静物》、濱谷浩《学藝諸家 瀧口修造 詩人》)
註)
【学芸ノートB版】においては、井上愛也の作品タイトルを《現実ノ具体》としています。第2回表現展の小冊子(『L’EXRESSION』No. 2、1936年5月、行田市郷土博物館蔵)では、作品図版の下部に《現實ノ具体》、出品リストに《現實の具体》と記載され、2種類の表記が存在しています。当館所蔵品の正式名称は《現実の具体》ですが、ここでは戦前のイメージを汲んでカタカナ表記としました。旧漢字は新漢字に改めています。同様に堀口大學の原稿タイトル《コクトオ口傳》も旧漢字を新漢字に改めています。
参考文献
Jean Cocteau, Mon premier voyage (Tour du monde en 80 jours), Gallimard, 1936
〔邦訳〕コクトー著/堀口大學訳『僕の初旅 八十日間世界一周』第一書房、1937年
西川正也著『コクトー、1936年の日本を歩く』中央公論新社、2004年
名古屋市美術館『日本のシュールレアリスム一九二五―一九四五』日本のシュールレアリスム展実行委員会、1990年
速水豊、弘中智子、清水智世編著『『シュルレアリスム宣言』100年 シュルレアリスムと日本』青幻舎、2024年