【学芸ノートB版】2025-7 井上愛也《現実ノ具体》
私事で恐縮ですが、今年の4月に万代島美術館に異動になりました。それまで長岡の近代美術館に長年勤務していたので、企画展示室とコレクション展示室が両方あるのが当たり前のように感じていました。そのためか複合施設の中にある万代島美術館では展示室が一つだけであることになかなか慣れず、落ち着かない気持ちがまだどこかにあります。
近代美術館で担当したコレクション展は数多いのですが、とりわけ印象に残っているものがいくつかあります。その一つが2022年第3期にコレクション展示室2で開催した「幻想世界 シュルレアリスムと美術」です。もともとこのテーマは、同時期開催の企画展「ダリ版画展」との連携企画として前年度から設定されていたものでした。ところがそれを準備していた学芸員が年度末に万代島の方へ異動となり、私が引き継ぐことになったものです。展示の骨格となるリストの原型はほぼ出来ていましたが、展示室2は三つの部屋の中で一番広いため、その空間を十分に満たすには作品点数がまだ不足していました。
シュルレアリスムは、1924年のパリでアンドレ・ブルトンが「シュルレアリスム宣言」を発表したことに端を発し、文学から美術へと分野の境界を越え、国際的な芸術運動へと発展していったものです。フランス国外では日本で最も隆盛した運動であるともいわれています。この歴史を踏まえて、特集展示では1章でミロやエルンストなど西洋のシュルレアリストを紹介し、2章で日本の戦前のシュルレアリスム運動を取りあげ、3章でかつての日本のシュルレアリストたちが戦後制作した作品を展示するという構成をとりました。作品選択の基準として拘ったのは、その作家がシュルレアリスムの洗礼を受けた歴史的事実があるかどうかの一点です。いわゆる「シュルレアリスム風」の作品は選びませんでした。とはいえ新潟県立近代美術館はこの芸術運動の系統だったコレクションを形成してきた訳ではなかったので、基準作となり得る作品は潤沢とはいえませんでした。最も勢いのあった1930年代の日本のシュルレアリスムを示す作品が乏しいまま特集展示をしなくてはならないのかと、準備をすすめながら憂鬱な気持ちになったことを覚えています。
そんな時でした。井上愛也の《現実ノ具体》という作品が収蔵庫の一隅に眠っていることを思い出したのは。この作品は近代美術館で過去に一度も展示されたことがなく、所蔵品目録にも記載がなく、受け入れた当時を知る人も既に去り、半ば忘却された状態にありました。
キャンバスの裏に荷札のようなラベルが付され、1936年第2回表現展に出品された作品であることが記されています。「表現」は30年代半ば以降、シュルレアリスムの自由な思想に共鳴した日本の画学生たちがさかんに立ち上げた前衛的な小グループの一つで、帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)の学生が35年に結成した絵画グループでした。作家に関する情報はその時は殆どないに等しかったのですが、その出品歴はまさに30年代の芸術運動の渦の中心で作品が生まれたことを証するものでした。
作品のタイトルは抽象的な語彙ですが、表されているのは、一つ一つがリアルなモチーフです。ヒトデや貝から類推して海辺の風景だと思われますが、海中都市のような建築群が見えています。沈んだ群青の空間を鮮やかな白い裸体が落下していくという異様な光景が描かれています。30年代の作品という意識で観ると、不穏な深層心理を表現したものとも感じられてきました。絵具の剥落がひどく壁面の展示に耐えるかどうか危ぶまれましたが、今回のテーマに最も合致するこの作品を展示しないという選択肢はなく、リストに加えました。
井上愛也《現実ノ具体》1936年 油彩・キャンバス 80.3×116.7cm |
調べていくと、作品がここにある事情もわかってきました。名古屋市美術館で1990年に開催された「日本のシュールレアリスム一九二五-一九四五」展に出品され、その企画者山田諭氏が画家の出身地が新潟であることから、近代美術館の前身である新潟県美術博物館が収蔵するのが望ましいと考えて所蔵者との間をとりもち、新潟に搬入されてそのまま30余年が経過していたのでした。譲渡することに同意する旨を記した所蔵者(作者の弟)からの手紙も資料ファイルに残されていました。それ以来、実質的に館の所有となっていたようです。90年代当時、状態の損傷が相当すすんでいたため、収集委員会に諮ることをせず、作品登録しないまま今日に至ったのではないかと推測しています。
後日、作家のご遺族と連絡がつながり、作品の現在の状況や90年代当時の事情をご理解いただいた上で、コレクション展への出品を実現することができました。またその年の収集委員会にも諮り、今では晴れて所蔵品となっています。
一点の作品によって、その展示に現実の意味と歴史の重みが加わるというと大仰ですが、眠り姫のように100年の眠りから覚めて、作品が自ら語り始める―そんな瞬間に立ち会うことができたように思いました。このコレクション展と井上愛也という作家について、実はもう一つ興味深い気づきがあったのですが、それはまた稿を改めてご紹介します。
(専門学芸員 平石昌子)