【学芸ノートB版】2025-9 雪梁舎美術館「工藝2025」を見て、田畑あきら子について想う。
「工藝2025 KOGEI」展 雪梁舎美術館 2025年 11/15-12/24
「工藝2025」はそれまで雪梁舎美術館で開催していた新潟県伝統工芸展を発展的に解消し、2021年から始まった展覧会です。本展の最大の特色は公募による若手作家の発表の場とすることを一つの柱にしていることです。中でも、隣県の大学生の出品を積極的に促していることで、5回目を迎える今回では、若手作家の公募部門の総出品数58点のうち、半数以上が大学生もしくは大学院生でした。特に本年度は雪梁舎育成大賞をはじめとして、育成賞、審査員賞、コメリ賞、全11の賞の対象者のうち、8名の方が20代、さらに9名の方が女性という結果となりました。
本展も他の公募展同様、審査には氏名はもちろん、性別、年齢、居住所など一切の情報が完全に伏せられた状況で行われますので、この結果はあくまで偶然に過ぎません。しかし、本年度に出品したおよそ半数の方が前年の「工藝2024」にも出品していた事実からすれば、この展覧会が若手作家のひとつの登竜門として機能し、この目標に向かって切磋琢磨した結果による受賞であると考えることもできるのです。
発表を続ける作家にとっても、本展を毎年、根気よく実施している美術館にとっても、まさに「継続は力なり」という言葉を証明しており、1999年に始まった先行する雪梁舎フィレンツェ賞同様、これから、またひとつの歴史を作っていくのではという気がしています。と同時に、こういう発表の場のある現在の若手作家の方々はある意味、恵まれているのかもしれないとも感じました。なぜなら、もし、田畑あきら子が生きていた時代に、このような若手作家の登竜門となるような公募展が地方にもあったとしたら、田畑あきら子はもっと早く評価されていたかもしれない、と考えるからです。
田畑あきら子については、本HP内で担当の松本主任学芸員により詳細に記載されていますので、ここでは簡単に触れるだけに留めたいと思います。彼女は旧・巻町(現・新潟市西蒲区巻)出身で武蔵野美術学校を卒業後、大学図書館の司書をしながら作家活動を続け、生前にわずか1回の個展をした後1969年に28歳の若さで早世しました。本来であれば、画家として人々の記憶に残ることは無かったと思われます。それが、友人たちの尽力によって開催された遺作展(日本橋・田村画廊)を起点に、たまたま彼女の作品を目にした人々によって、あたかも細い糸を繋いでいくように、彼女の作品は語り継がれることになり、公立美術館に収蔵されることになったのです。その一つが大阪にある国立国際美術館であり、現在、この世に10点しか存在しないと言われる油彩の4点を収蔵しています。
さて、ここで一つの疑問が生じてきます。これほどまでに人を惹きつける彼女の作品の魅力はどこにあるのでしょうか。それは実は私自身の疑問でもありました。1997年に油彩作品が当館でも収蔵されましたが、本作を紹介する際、私は「再現的であることを拒否しているようにも見えるが、作品の中に平仮名や数字、矢印が記号のように象徴的に配されており、完全に抽象表現主義的絵画というわけでもない。作者は自分の中に洪水のように湧き出てくるイメージををそのまま作品の中に展開させているようだ」*1と記しています。「再現的であることを拒否」というのは美術評論家クレメント・グリンバーグが批判した「帰する場所なき再現性」*2のことで、完全に抽象的でもなく、特定の具象性があるわけでもない描写を意味しています。つまり、私は本作に対して抽象、具象、どっちつかずの印象があるが、田畑はそこに重きを置くのではなく、自身のイメージに忠実に描いていると評したわけです。しかし、今回、田畑あきら子の作品群に対峙し、彼女の様々な冒険的な試作に気がつきました。
第1室は田畑による具象主題を抽象化した素描が主に展示されていますが、眺めていくと色彩のある素描作品では、輪郭線が書のように闊達になっていきます。これが、やがて作者の言うオボロ線となるわけですが、私はその描線を見て2000年頃から活躍をはじめる、ポスト・モダニズムを代表する、ある映像作家の作品の動きに似ていると思いました。
さらに、このエリアにある卒業制作の油彩は、1980年代に東京国立近代美術館で個展を開催したある作家の初期の作品を連想させます。私はかつてその作家が、それまで平面に留まっていた自身の作品を、冒険的に三次元的に表現してみたとお話されていたことを思い出しました。この発言の背景には、前述のグリンバーグが、ウィレム・デ・クーニングが抽象絵画から《女》シリーズにおいて、三次元空間のイリュージョンを意識したことや、ヨーロッパの抽象絵画における現実的な三次元性へと向かう傾向、「密かな低浮彫」を否定的に捉え、あくまで色彩の優位性に的を絞ったカラー・フィールド・ペンティングと評されるマーク・ロスコやバリー・ニューマンを評価したことに起因しているのではと考えています。時代的に考えると、田畑あきら子も当然そのことに直面したはずですが、一応の完成形である第3室にある10点の油彩を眺めると、その課題に対して彼女なりの回答を出しているように見えました。
作品自体は何層にも及ぶレイヤーを有していますが、表面全体に覆う白がそれを全て覆い隠してしまいます。その結果、決して盛り上げない油彩表現でありながら、白色を通して見える色彩が画面全体を豊穣な空間へと昇華させており、アーシル・ゴーキーを出発点としながらも、「三次元空間のイリュージョン」、そして「密かな低浮彫」を超越しようとしているようにも見えるのです。だとすれば、私のかつての解説にあった「自分の中に洪水のように湧き出てくるイメージをそのまま作品の中に展開させている」という刹那的なことでは決してなく、緻密に計算した上での表現の結果だったと考えるべきなのでしょう。
加えて、具象的主題に結び付きやすい文字や記号、数字を放棄しないのは、後に荒川修作が1963年から1980年代末まで続ける〈意味のメカニズム〉*3と同様に、ポスト・モダニズムの先駆とも言えるジャスパー・ジョーンズの考える三次元絵画、オブジェ化した絵画も視野にあったのかもしれません。奇しくもネオ・ダダからポップ・アートへと進んだジャスパー・ジョーンズ、そして1960年に「ネオ・ダダイズム・オーガナイザーズ」を結成した荒川修作同様、田畑あきら子もネオ・ダダ作品そのものともいえるコンバイン・ペインティングによる《作品》(1966年頃、ヒロセコレクション蔵)*4を制作しています。
残念ながら田畑あきら子の冒険もこの作品群を最期に終わることとなりましたが、これらの傾向を眺めるにつれ、詩人としても制作意欲をみせていた彼女のことですから、いずれはポスト・モダニズム作品へと移行しようとしていた、その足掛かりとして抽象絵画からコンセプチュアル・アートを仕掛けようとしていたのではないかとも思うのです。
無論、これは仮説の域をでるものではありません。しかし、田畑あきら子の作品には、人にそのようなことを感じさせる魅力が明らかに存在している、そのことを遅まきながら感じた次第です。
最後に工芸の新たな魅力に触れる貴重な機会である雪梁舎美術館の「工藝2025」は12月24日まで、そして「田畑あきら子」展は2026年1月12日までです。お見逃しのないよう。
(新潟県立万代島美術館・専門学芸員 藤田裕彦)
*1『近代美術館とコレクション 新潟の美術』新潟県立近代美術館、1998 p13
*2クレメント・グリンバーグ「抽象表現主義以後」『グリンバーグ批評選集』(川田都樹子、藤枝晃雄訳) 頸草書房、2005
Pp146-163
*3『荒川修作の実験展-見る者が作られる場』東京国立近代美術館、1991、pp149-163
*4図版掲載


「田畑あきら子展」新潟県立万代島美術館 2025 年11/22-2026年1/12