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学芸ノートB版 2024-4 そこまで難しくはないけれど、理解するのに多少時間のかかる現代美術の話② 「ポップアートって何? あるいは当館所蔵作品のポップアート的遺伝子について」後編

ポップアートの継承

 

かつて現代美術作家・村上隆氏はこう発言しています。

 

「ポップアートとは、第二次世界大戦の戦勝国が、その経済力と政治的な優位性を携えて世界に流布した新しいアートのフォームであり、敗戦国の僕らが文化の素地として語る際には、ネガティヴな思考停止状態の一切を受け入れる覚悟が必要」*1

 

ここで語られているのは、日本国内にもポップアートとして目される作品は存在するものの、戦勝国/敗戦国という違いによって、その根幹が異なっているということです。日本的ポップアート*2は、1960年代に空襲等の戦争体験の後、占領軍文化を吸収して育った世代が、前近代から続く日本土着の大衆文化を素材として制作するようになった作品群を示します。敗戦後、GHQの占領下で再出発した日本においては、ポップアートという、戦勝国で誕生した現代美術思潮を無批判に受け入れることは困難でした。この世代で、かつ同傾向の現代美術作家としては、長岡現代美術館賞展にも出品している岡本信治郎や篠原有司男、小島信明、また、この当時はまだ広告デザイナーであった横尾忠則などが代表的な存在と言えるかもしれません。彼らの作品は1960年代の社会状況、例えば安保闘争の激化、ベトナム戦争の泥沼化等によって、ポップアート的な皮膚感覚を持ちつつも、日本独自の様相を表していきますが、不思議なことに完全にアイロニカルな作品とも言えないのです。まさにどっちつかずの、木に竹を接いだようなアンヴィバレントな、だからこそ、そこに魅力を感じる作品となっています。

アメリカ国内でも、かつて、抽象表現主義後の世代の旗手として知られ、ポップアートに多大な影響を与えたジャスパー・ジョーンズは、アメリカ国旗を主題とした《旗》(1954-55)を発表します。本作は国旗の持つ意味や目的、機能を剥ぎ取り、鑑賞者にその形や色彩のみに注目させつつも、結局は国旗本来の象徴(シンボル)的な意味へと回帰せざるを得ないという、重層的な作品を制作していますが、本作には従来のアメリカのポップアートにはない、ある種のアイロニカルな視点を感じます。ここには社会情勢の変化がありました。

アメリカは1970年代半ばに入ると、ベトナム戦争の泥沼化による国内外からの批判、アメリカ経済の停滞、人種差別問題等、多くの問題が顕著化し、それに伴い、大量消費に根幹を持つポップアートも終焉を迎えます。その後は、明確に美術マーケットを拒否した、概念美術(コンセプチュアル・アート)が引き継ぐことになります。

一方、日本は右肩上がりの高度成長期を経て、安定した経済の中で、ポップアート的な作品から徐々にアイロニカルな要素が失われていくことになります。この流れは1980年代末まで続いていくことになりました。

 

おわりに

1950年代にイギリスで生まれ、1960年代以降、アメリカを中心に世界を席巻したポップアートですが、現在もその遺伝子は様々な形で残っています。1960年代当時ですら「ヌーヴォー・レアリスム」(フランス)、「資本主義レアリズム」(ドイツ)、「反芸術」(日本)にその要素が見られたわけですが、その後も、例えば日本に限って眺めても、1990年代に「ネオ・ポップ」と評された、ポップアートを遺伝子に持つ新しい日本の現代美術が誕生しました。これらの作品群はそれぞれのアーティストを輩出した各ギャラリーの活況とともに、日本国内だけではなく世界にも注目されるきっかけにもなったと思います。

この潮流を決定づけたのは2000年から開催された村上隆氏による企画展「スーパーフラット」です。本展はアメリカでも三都市で開催されましたが、本展の根幹にはポップアートの遺伝子が明らかに含まれており、この企画展から日本独自の新しい美術概念としての「スーパーフラット」が生まれました。この概念はそれまで同時多発的に誕生していた若い現代美術作家の、乱立する作品群を整理すると同時に、彼らの作品と日本の伝統絵画からマンガやアニメに通ずる共通項を導きだし、西洋現代美術の文脈の中に位置づけることに成功しています。面白いことに、「スーパーフラット」に位置付けられる作品群には、その主題に直結するオリジナルの文脈に対する、顕著な愛があるように見えるのが興味深いところです。なお、余談ですが、同じく村上隆のキュレーションにより、2022年6月には「スーパーフラットPART2」として、カルティエ現代美術財団において「Coloriage(ぬりえ)展」が開催されます。本展においては村上氏のたっての希望で新しい作家が加えられたのですが、この作家については別の話としたいと思います。

 

さて、最後に新潟県立近代美術館・万代島美術館で収蔵している作品のひとつを紹介しましょう。私にとってはアンディ・ウォーホルが考えたポップアートの概念を語る上でどうしても外せない作品となっています。本当は画像で紹介したかったのですが、現在ではかなり難しい状況になってしまいました。本作は、もともと広報用宣伝物のため、著作権者であるデザイナーだけではなくて、発注者であるクライアントの許可も得る必要があります。しかし、以前、印刷物に掲載するため著作権者の許諾を得た上で、クライアントの許可を求めたところ、残念ながら断られてしまった経緯があります。現在はその頃から随分と経っているのですが、ある意味でさらに状況が複雑化してしまって、今ではどこにどう許可をとれば良いのか全く分からない状態になってしまいました。

本作は2016に解散してしまった、ある国民的アイドルグループのCD発売を広くアピールするため、デザイナー佐藤可士和氏が手掛けたものの一部で、当時、最年少で第4回亀倉雄策賞を受賞、その後、当館に収蔵されました。佐藤氏によると単にアイドルCDの宣材としてではなく、そういう名称のブランドを立ち上げたという架空のストーリーを構築して、デザインを行ったということです。原色を生かした、パキッと突き抜けたような鮮やかなデザインで、そのコンセプトを含めて、今眺めてもクールな作品に仕上がっています。

前述の通り、画像を紹介するのは困難なのですが、作品それ自体を展示することは当館に認められた権利です(これは法律でいう「美術の著作物等の原作品の所有者による展示」と言います)。ということで、これからも本作を当館が所蔵する佐藤可士和氏の代表作として紹介していくことになるでしょう。

そして、ここからが本題なのですが、これからも本作を展示する際には、このグループ名がキャプションや作品リストに大々的に記載されていくことになります。実際、本作の名称は2021年度版の『新潟県立近代美術館・万代島美術館年報』にしっかり掲載されています。

つまり、本作を展示することによって、ある国民的アイドルグループの存在も、鑑賞者の記憶として永遠に刻まれることになったと言っても過言ではありません。ということで、本作はデザイナーと美術館、そして鑑賞者による、ある種の共犯関係の結果として、図らずも名実ともにポップアートの遺伝子を受け継いだ作品へと昇華したと言えるわけで、ポップアートのお話をする時には絶対に紹介したい作品なのです。

 

新潟県立万代島美術館・館長 藤田裕彦

 

*1 座談会 文化庁メディア芸術祭シンポジウム「ジャパン・コンテンツとしてのコンテンポラリー・アート-ジャパニーズ・ネオ・ポップ・リヴィジテッド」2014年2月16日(『美術手帖』2014.4.pp92-104採録)

*2 1960年代当時、日本的なポップアート作品を「反芸術」と呼んでいました。