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B.island(新潟県立万代島美術館ニュース)第20号-9 「乙女の絵封筒―大正・昭和のかわいいデザイン2」

先回ご紹介した京都のさくら井屋は小説にも登場します。織田作之助が自身の青春時代を題材にした小説「二十歳」の中で、京都の学生である主人公と友人は「三条通の入口からさくら井屋のなかへはいり、狭い店の中で封筒や便箋を買っている修学旅行の女学生の群をおしのけて、京極の方の入口へ通り抜け」、友人は修学旅行で京都へ来た妹が「さくら井屋の封筒が買えなくなったといって、泣き出しゃがる」と話します。なぜ妹が封筒を買えなかったかといえば、それは自分が妹のお金をまき上げたからだと続けるのですが……それはともかく、当時のさくら井屋の繁盛ぶりと、その封筒が買えないと泣き出すほどに、少女たちの人気を集めていたことが伝わります。

 

また、絵封筒が小説の小道具として存在感たっぷりに使われているのは谷崎潤一郎の「卍」。谷崎は関東大震災の後に関西に移住し、東京人の眼から見た当時の関西風俗をふんだんに作品に盛り込みますが、本作もその内の一つ。恋愛関係にあった二人の女性が交わした手紙を披露された「作者」は「竹久夢二風の美人画、月見草、すずらん、チューリップなどの模様が置かれてある」封筒の束が「まるで千代紙のあらゆる種類がこぼれ出たかのよう」な華やかさであることに驚きながらも「こう云うケバケバしい封筒の趣味は決して東京の女にはない。たといそれが恋文であっても、東京の女はもっとさっぱりしたのを使う」と評します。

京極三条さくら井屋製

登録商標京都京極さくら井屋版

谷崎が目にした封筒、このようなものだったのかもしれません。関東と関西の好みの違いについては大いに気になるところですが、ひとまず置いておきましょう。「それらの意匠の方が時としては手紙の内容よりも、二人の恋の背景として一層の価値がある」として、驚くほど詳しい説明が続きます。登場する封筒は3つ。以下、本連載でご紹介するコレクション中の作品とともに、順に見ていきます。

①「封筒の寸法は縦四寸[約12.1㎝]、横二寸三分[約7.0㎝]、鴇色地(ときいろじ)に桜ン坊とハート型の模様がある。桜ン坊はすべてで五顆、黒い茎に真紅な実が附いているもの。ハート型は十箇で、二箇ずつ重なっている。上の方のは薄紫、下の方は金色。封筒の天地にも金色のギザギザで輪郭が取ってある。」

こちらは縦15.4㎝、横6.2㎝。文中のものより縦が長く、さくらんぼとハートの数も異なりますが、地色は同じ。「鴇色」はトキの風切羽からくる色名で、淡い桃色を指します。また、金色ではありませんが、左右に縁文様もありますね。

 

②「封筒縦四寸五分[約13.6㎝]。横二寸三分[約7.0㎝]。オールドローズの地色の中央に幅一寸四分程の広さに碁盤目が通っていて、その中に四つ葉のクローバーを散らし、下の方に骨牌(かるた)が二枚、ハートの一とスペードの六が重なっている。碁盤目とクローバーは銀色、ハートは赤、スペードは黒」

京極三条さくら井屋製

こちらは縦11.9㎝、横7.2㎝。縦がやや短いものの、ほぼ同サイズで、オールドローズの地色も一致します。中央には銀色の碁盤目(=格子柄)とクローバー。そして文中、「骨牌」に「かるた」というルビが振られていますが、これはトランプのこと。クローバーとともにこの時期に流行したモチーフで珍しくはないのですが、よく見るとハートのエースとスペードの6が重なっています!これはまさに同一のデザインではないでしょうか。

 

③「封筒縦四寸[約12.1㎝]横二寸四分[約7.3㎝]。図は横に画いてある。緋色(ひいろ)の地に鹿の子絞りのような銀の点線が這入っていて、下に大きな桜の花弁の端が三枚見え、その上に後姿の舞妓が半身を出している。緋、紫、黒、銀、青の五度刷りの最も色彩の濃厚なもの」

 

残念ながら類似のデザインがコレクション中には見つかりませんでしたが、緋色(濃く明るい赤、深紅色)の地に銀の文様や線が入るデザインはかなり多く、この時期特有の色の好みだったことがわかります。また、桜と舞妓の取り合わせも非常に多いので、一例をご紹介しておきます。

登録商標京都京極さくら井屋版 意匠登録第四二六〇一号

作中、封筒の説明に加えて、便箋の色や柄、使われたペンのインク色や文字の書き始めの位置、さらに筆跡の特徴も記されます。その描写の細かさと執拗さには恐ろしさすら感じますが、こうして読むと、よくぞここまで書いておいてくれたという感謝の念が勝ります。肝心の手紙の内容はというと、これがまた愛憎渦巻くかなりの激しさなのです。物語は終盤、女性二人とその内一人の夫も巻き込んだ三角関係へと進み、壮絶な結末を迎えます。「乙女の」とか、「かわいい」という語句を本稿の題につけましたが、そうとばかりも言っていられない側面もまた、当時の絵封筒が果たした役割にはあったのですね。(主任学芸員 池田珠緒)

 

※織田作之助「二十歳」は昭和16年に発表された。『織田作之助全集2』(講談社1970年)所収の「青春の逆襲 第一部 二十歳」より原文を引用した。

※谷崎潤一郎「卍」は昭和3~5年に雑誌連載された。『昭和文学全集 第1巻』(小学館1987年)より原文を引用した。[ ]内は補足した。

※掲載画像作品は全て個人蔵。裏面にも印刷がある場合には情報を記載した。