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学芸ノートB版 2025-2 岡田竹弘斎を知っていますか?② 新潟県立近代美術館「皇室の名宝と新潟」に寄せて

 「竹弘斎」落款

 

あらたな手がかりの発見

岡田竹弘斎に近づく手段が途切れたまま、およそひと月ほどたった頃、三の丸尚蔵館展のチーフ担当である新潟県立近代美術館の飯島沙耶子主任学芸員が1冊の本を見つけ出してくれました。それが岡田友宏著『竹に生きる七十年』(昭和46年)です。全くの非売品であり、著者の自叙伝のようなものでしたが、この本が私にとっての全ての謎を解いてくれることになりました。結論から言えば、私の考えた三つ目の仮説が最も近かったようです。ある意味で岡田竹弘斎は竹工芸に対する愛情と熱意は誰よりも強い人物だったのですが、自身は竹工芸作家を目指したわけではなかったのです。

ひとつずつ明らかにしていきたいと思います。まず、本書の著者である岡田友宏氏こそが、私がずっと探していた岡田竹弘斎その人です。本の扉のあっさりした略歴を見ると、明治28年に伊勢市に生まれ、昭和26年に日本竹芸輸出協同組合理事長、昭和35年には社団法人竹芸会館会長等を歴任との記載があります。もともと新潟県とは縁もゆかりも全くない人物ですが、本書を読みすすめると、そこには大きなドラマがありました。

伊勢市に生まれた岡田はもともと竹の可能性に注目していたようですが、複雑な家族関係からか、家出同然で実家を飛び出します。一度は戻ろうと思ったようですが、母からは冷たくあしらわれ、父からは「東京の日本橋通りに店を持つ様になれば、成功だと昔から言われている。竹細工専門で東京日本橋通りに店を持った者は未だ無い。此の位にならねば真の成功と言われん」と言われたこともあり、たった一人で伊勢市内にお店を出して竹細工一筋の生活をしていたようです。

そのお店の竹細工に目を止めた一人の人物がいました。この2人の出会いが岡田竹弘斎の生涯を劇的に変えることになります。その人物とは佐渡出身で、この時期、たまたま三重県度会郡役所で農業助手を務めていた茅原治六でした。茅原は前々から豊富な佐渡の竹を何かに使えないかと考えていたところ、岡田の作品を見て、この技術を佐渡に広めたいと思いつき、竹細工の指導者として熱心に岡田を佐渡に誘ったのです。岡田の言葉によると、大正初期には「伊勢の人が佐渡ヶ島へ行くことは、佐渡の金山この世の地獄と言い伝え、恐ろしい地の如く考えて」いたそうで、当然、断るつもりでした。しかし、茅原の再三に渡る熱心な依頼に心を打たれ、全てを捨てて佐渡に行くことにしたそうです。伊勢には二度と戻れないと腹を決め、両親、叔母、友人にも連絡をしたそうですが、駅で見送ってくれたのは叔母一人と友人一人だけだったと記載しています。

 

岡田竹弘斎、佐渡に渡る

岡田が「恐ろしい地」と考えていた佐渡でしたが、佐渡に着くと茅原家の人々から暖かく受け入れてもらい、初めて人の情けを感じたと言います。今まで明るい気持ちなど持ったことの無かった自分が、愛に飢えていた自分だからかもしれないが、こんな遠い場所で見知らぬ人々から優しくしてもらい涙の出る思いだったと述べています。また茅原治六氏の父、茅原鉄蔵氏は佐渡をはじめ県下一円の農業指導者でもあり、岡田が佐渡の竹の研究指導をすることに感謝して、宿でも材料でもあらゆる援助をしてくれたことで、より恩に応えるべく、日々熱心に竹の研究指導を行うようになったということです。こうして、竹の指導研究を続けていると、竹で品物を作る人が伊勢から来られたという噂が佐渡内で伝わり、大勢の人が訪れるようになります。さらに、その中の有志により岡田後援会が設立されました。会長には眼科医だった川辺時造氏、その他、村長や校長等、錚々たる方々ばかりだったため、弟子志願者も増えたようです。

岡田はこの時21歳。弟子をとる身分ではないと断り続けたようですが、そこに同じ21歳の若者が、どんなに苦しくても食べ物もいらない、掃除も食事の準備もする、一年で良いから弟子にして欲しいと頼み込み、仕方なく子弟関係となったのが渡辺宇一という人物。同じ年の二人が切磋琢磨して、一日の休みもなくひたすら寝食を忘れて竹工芸研究に没頭、めきめき腕を上げていきました。因みに渡辺宇一という人物は、後の竹工芸家で知られる小菅竹堂氏です。

さらに、佐渡の竹工芸品を知らしめるためには展覧会が一番と、まず手始めに新潟市内で展覧会を開催、好評で迎えられます。その中の一人が取引を申し出て、佐渡の竹芸品が初めて東京で紹介されることになりました。気をよくして、次の一手と考えたのが農商務省主催第二回工芸展覧会(以下「農展」)でした。岡田はここで《花籠》を出品すると見事に入選。佐渡の人も大喜びで祝賀会まで開いてくれたそうです。

これを契機に佐渡島内の様々な場所で講習会を実施しながらも、佐渡の方々の恩に応えるために、佐渡竹を広めようと農展をはじめ、博覧会や海外の展覧会にも出品したところ、それぞれに受賞、当然、佐渡のみならず新潟、東京の各新聞に紹介され耳目を集めることとなりました。

(新潟県立万代島美術館・館長 藤田裕彦)