『ピーナッツ』ブックスと谷川俊太郎 「谷川俊太郎 絵本★百貨展」に寄せて

 

チャールズ・M・シュルツ   作 / 谷川俊太郎 訳

『完全版 ピーナッツ全集 1   スヌーピー1950-1952』河出書房新社(2020年)

 

『ピーナッツ』ブックスというとピンと来ない人も、チャーリー・ブラウンとスヌーピーが登場する漫画と言えば、誰もが知っているでしょう。『ピーナッツ』は1950年にチャールズ・M・シュルツ(1922-2000)によって執筆された漫画で、それから、およそ50年間にわたって描き続けられました。この『ピーナッツ』ですが、日本で紹介されたのは、はじめて登場してから15年以上も経た1967年のことでした。この初お目見えの時から最終作までの全作を翻訳したのが谷川俊太郎(1931-2024)*1さんでした。

スヌーピーとチャーリー・ブラウンと言えば、漫画ではなくて、アニメーションで見たよ、という人も多いと思います。NHKで1970年代から単発的に放映されており、現代美術作家の会田誠さんや鴻池朋子さんもテレビで見ていたようです。会田さんは鴻池さんとの話の中で、チャーリー・ブラウンの吹き替えが故・谷啓氏か、なべおさみ氏だったかでもめたようです。これはお二人とも正しくて1971~1978年頃まで放映されていたアニメでは故・谷啓氏、1981~1985年頃までが、なべおさみ氏でした。私の記憶に一番残っているのは谷啓氏によるものですが、チャーリー・ブラウン以外にも思い入れのある声の人が多く、チャーリーの妹、サリー・ブラウンの松島トモ子氏や、ルーシー・ヴァンベルトのうつみ宮土理氏ははまり役だったと思います。しかし、この映像はビデオ化もDVD化もされておらず、現在では全て、子役が吹き替えたヴァージョンしか見ることができません。これについて、会田さんも苦言を呈していましたが、私も新しい吹替えヴァージョンでは、ペーソスが飛んでしまっているような気がします。実は漫画とアニメーションを比べても、個人的には漫画にかなわないと思っています。その理由は大きく二つあります。一つはアニメーションではスヌーピーが思っていることが分からないこと*2。そして、もう一つは谷川俊太郎さんの訳ではないことです。

谷川俊太郎さんの翻訳の素晴らしさは何と言っても、センスあふれる意訳だったという点です。例えば、チャーリー・ブラウンは"Good Grief !" という言葉をよく使います。これは、とても訳しにくい言葉で、"Oh My God !" とか"Oh Jesus ! "と同じように使われます。使う場所でも異なり、「やっちゃったよ!」とか「勘弁してよ!」あたりになるのですが、これを谷川さんは一言「ヤレヤレ」と訳しました。シンプルですが、どの場面でも使える実にスマートな訳だと思います。

チャーリー・ブラウンが主にルーシーにやり込められた時には"I Can’t Stand It !"と言います。これを普通に訳すと、まあ「我慢できない」とか「もう無理!」あたりです。ただ、チャーリー・ブラウンの言葉だとすると、ちょっと強すぎる感じです。それが谷川訳では「ヤリキレナイ」です。どことなく哀愁がある気がしませんか?

こんなものもあります。ルーシーの"Okay, Team, It’s HYPOCRITE Time !!"*3という台詞で、"HYPOCRITE"とは「偽善者」の意味なので、普通は「わかった。みんなでこれから偽善者の時間」あたりですが、谷川訳では「わかったわ、さあ、みんなネコかぶりの用意!!」となっていて、ルーシーの可愛い部分が出ています。

 

他にも簡単なところでは、

I Prefer to think of  it as Pump-Priming (手押しポンプと考えたいね)→

「呼び水だと考えたいね」*4  ポンププライミングという言葉は日本人には馴染みがありません。

On the Other Hand (これに反して)→「とは言うものの…」*5

On the Contrary (逆の立場では)→「あにはからんや」*6

Good Luck (がんばって/幸運をお祈りします)→「うまくおやりよ」*7

凝ったものになると

When You’re Hot, You’re Hot (ホットな時はホットな時)→

「ついているときって、ついてるもんね!」*8

She hath Caused Me to Rend My Garment ! (彼女は私に私の衣類を引き裂かせた !)→

「千々に裂かれし 心のみか衣類まで!」*9                                                                            原文(意味)→「谷川訳」

 

などがあり、どれもキャラクターの顔が浮かんできそうです。

 

特に素晴らしかったのが"The Last Straw !" です。直訳すれば「最後の藁」ですが、これだけでは全く意味を成しません。実は「もう何も積めないほどの荷物を背負った駱駝は、最後に藁1本を乗せただけで倒れてしまう」という西洋のスラングがあり、「ついに耐え切れなくなる瞬間」を表しているところから、「もう我慢できない!!」という意味になります。「これが、最後の藁だった」と直訳して、スラングの注釈をつけるという方法もありますが、漫画に注釈をつけるというのも興醒めです。さて、どう訳すのがいいのでしょうか。谷川さんはこのように訳しました。「これが、堪忍袋の緒だった」*10 実に見事だと思いませんか。

 

実は谷川さん自身も『ピーナッツ』を翻訳することは、日課であり生きがいでもあったそうで、本人も楽しんでいたのかもしれません。ともすると、オリジナルばかりが評価されますが、特に海外作品においては、それを日本語に翻訳する人にセンスがないと、原作それ自体を台無しにしてしまいます。「刑事コロンボ」の名翻訳で知られる額田やえ子氏*11が、"My Wife"を「うちのカミさんがね」と訳したというのは有名ですが、"You See ?" を「よござんすか」と訳して、魅力あるコロンボ像を作り上げたように、『ピーナッツ』の翻訳者が、谷川俊太郎さんだったことは実に幸福なことだったと思います。

さあ、ここからは宣伝です。詩人としてだけではなく、日本語の魅力を知り尽くした、優れた言語感覚の持ち主だった谷川俊太郎さんの、多方面に渡る才能に出会える展覧会を、年明け早々の1月18日から万代島美術館で開催します。名付けて「谷川俊太郎 絵本★百貨展」です。この機会に是非、万代島美術館をお訪ねください。

さて、谷川訳以外の『ピーナッツ』もごくわずかですが出版されています。その1冊が『どこかに君を愛する人が』(1997)です。この一冊を翻訳したのが漫画家・故さくらももこ氏です。『ピーナッツ』を『ちびまる子ちゃん』の作者が翻訳するなんて、何か出来すぎの感もありますが、これはまた別の話。

 

(新潟県立万代島美術館・館長 藤田裕彦)

※アイキャッチ画像を含め『完全版ピーナッツ大全集』画像につきましては、河出書房新社様からご提供頂きました。

 

チャールズ・M・シュルツ 作 / 谷川俊太郎 訳

河出書房新社刊『完全版ピーナッツ大全集』全25巻と最終巻『完全版ピーナッツ大全集25 スヌーピー1999-2000 』

*1『PEANUT BOOKS』は当初、鶴書房から刊行されたが、鶴書房が倒産、角川書店がその後、『SNOOPY BOOKS』の名称で引き継いだ。2004年にアメリカで全作品を収録した『The Complete Peanuts』が刊行されると、その日本版として『完全版 ピーナッツ全集』の名称で、河出書房新社から2019年より谷川俊太郎全訳で刊行された。それまでも谷川俊太郎は『PEANUT BOOKS』を翻訳していたが、初期の『PEANUT BOOKS』の中には、わかりにくいという理由から掲載されなかったエピソードもあった。河出書房新社版『完全版ピーナッツ全集』全25巻は、それらの未掲載分も含めて、谷川俊太郎の新訳を行った、まさに「完全版」となっている。

*2アニメーションではスヌーピーは犬という扱いなのでしゃべらないが、漫画ではスヌーピーの考えていることや自身の言葉がふきだしの中にきちんと記されている。

*3 p250 チャールズ・M・シュルツ 作 谷川俊太郎 訳『完全版ピーナッツ大全集』 14巻  河出書房新社 

*4  p123 前掲書 5巻 

*5  p188  前掲書 14巻 

*6  p29  前掲書 7巻 

*7  p23  前掲書 7巻 

*8 p123  前掲書 14巻 

*9 p173  前掲書 5巻 

*10 p221  前掲書 14巻 

*11 パイロット・フィルムにあたる『殺人処方箋』からファーストシーズン終了までは飯島永昭氏が担当していたため、それまでは単に「女房」と訳されていた。第2シーズン以降、全て額田やえ子氏が担当。尚、額田氏は「刑事コロンボ」のイメージが強いがTVドラマ『シャーロック・ホームズの冒険』、「ジェシカおばさんの事件簿」の他、コロンボの真逆と言って良い「マイアミ・ヴァイス」や「ツイン・ピークス」まで担当。びっくりするのが映画で「ランボー」とか「ブルース・ブラザーズ」も翻訳するなど、多彩な才能を見せている。