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B.island(新潟県立万代島美術館ニュース)第20号-8 「乙女の絵封筒―大正・昭和のかわいいデザイン1」

「大正ロマン」「昭和モダン」「ハイカラ」「乙女」……こんな言葉にぐっとくる貴方、もしくは、ちょっとレトロでかわいいものになぜか心ひかれる貴方。そんな方々にぜひご紹介したいのが、大正から昭和初期にかけて大流行した「絵封筒」です。

まだ新型コロナウィルス感染症の気配もなかった2019年秋、当館では企画展「大正イマジュリィの世界」を開催していました。明治末から昭和初期の書籍、挿絵、ポスターなどをぎっしり会場に並べ、日本のグラフィック・デザイン事始めの様相を堪能する内容でしたが、展覧会に足を運んでいただいた方は、会場中程のケースにずらりと並べられた絵封筒の数々を記憶されているでしょうか。

和紙に木版多色摺の絵封筒は驚くほどカラフルで、金や銀も多用されています。およそ100年も前のものとは思えない状態の良さは、大切にされてきたことの証でしょう。現在の封筒よりもずっと小さく、片手の平に収まるサイズですが、なんとも華やかな絵封筒は注目を集め、解説会では「かわいい!」「欲しい!」「私はこれが好み!」といった声が次々にあがり、大いに盛り上がりました。

展覧会は終わってしまえば跡形もなく消えてしまうものです。担当はすぐに次の企画の準備で頭がいっぱいになりますが、この展覧会には宿題がありました。絵封筒の所蔵者と展覧会企画元のご厚意で、コレクションの内容について調査をさせていただけることになったのです。2年越しになってしまったばかりか、まだまだ調べきれていないことが多いのですが、この場を借りて少しずつご紹介とご報告をいたします。

 

(2019年11月「大正イマジュリィの世界」展より)

 

まずは「絵封筒ってなに?」というところからはじめましょう。封筒とは、ご存じのとおり手紙を入れる袋状の紙製品。手紙といえば、古くは平安貴族が盛んに文をやりとりしていたことが物語などでよく知られますが、当時は縦長に折りたたんだ手紙を別の紙でくるんで上下を折り返す「懸紙」が封筒の役割を果たしていました。現在のような形状の封筒が広まるのは江戸時代。文様を色摺りした封筒=「絵封筒」が登場すると、単純な文様に加えて草花や生き物、風景など、次第に様々な意匠が増え、流行したといいます。

明治になって郵便制度が確立されると、官製切手やはがきが発売され、絵はがきブームが到来します。手紙を送るという行為がさらに一般化し、和紙店や百貨店が商品企画をした絵封筒も人気を集めました。この時期の大衆文化を知る上で欠かせない人物に一世を風靡した人気画家・竹久夢二がいますが、彼は大正3年から自身の店でオリジナルデザインの生活雑貨を販売しています。手ぬぐい、風呂敷、千代紙、便箋などの中でも、絵封筒は男女問わず人気の商品となり、店は繁盛しました。店自体は夢二人気にあやかった一過性のものでしたが、日本の景気が上向き、生活のなかの身近なものを美しく彩るという意識が人々に広く浸透していたことは、絵封筒について考える時にも重要なことでしょう。

大正末、絵封筒はさらに華やかさを増し、単なる実用品ではなく、コレクションアイテムへと進化していきました。主に女学生や若い女性たちの間で、絵封筒を集めることが大流行したのです。東京では伊東屋、三越、松坂屋などで扱われるものが上等とされましたが、この時期、版元・販売元として特に名高いのが京都のさくら井屋です。近年注目を集めている小林かいちの絵封筒を多く扱ったことでも知られています。各地の女学生達も、修学旅行で京都へ行くと新京極の店舗に足を運び、好みの絵封筒を選ぶのが楽しみだったようです。また、京都のお土産品としても、絵封筒は主力商品でした。展覧会に出品した絵封筒は東京の女学生のコレクションでしたが、京都の名所や舞妓が描かれたものや、さくら井屋のものがとても多いのです。

さて、今回はひとまずこれにて。次回に続きます。(万代島美術館主任学芸員・池田珠緒)